季節感覚の欠如

こんにちは。シングルマザーのRainyです。
2020年7月15日(水)の晩ごはんを紹介したいと思います。

今週は、主にこちらの食材と、冷凍してある肉、魚を中心に献立を考えています。

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2020年7月15日(水)の晩ごはん「白菜と豚肉の生姜鍋」

・白菜と豚肉の生姜鍋
・かぼちゃの煮物
・つるむらさきのお浸し
・ぬか漬け(きゅうり)
・みそ汁(たまねぎ、わかめ)

保育園からの帰り道、「今日は寒いから、何かあったかいごはん作ってほしいな」とMomo。

ということで、体が温まるメニュー「白菜と豚肉の生姜鍋」を作りました。作り方は簡単。

フライパンで、千切りにした生姜、適度な大きさに切った豚肉と白菜を炒める。水、鶏ガラスープの素、酒、醤油を入れ、白菜が軟らかくなるまで煮る。

とろみをつけても良いんだけど、冷めづらくなってしまいMomoに食べにくいかなーと思い、今回はこのままで。

それにしても、「寒いから温かいご飯作って」とは、なんとも大人びたリクエストである。私が4歳の頃、気候と食事を結びつけて考えたことなんてあったかなあ、と思う。ない、と言い切れる。

季節感覚の欠如

気候と食事を結びつけて考える、というので思い出したが、私は昔から、気候に合わせて服装や髪型、持ちものを変えることが大変苦手である。

ウールのコートはいつ着始めれば自然なのか、とか、ヒートテックは何月になったら脱ぐのかといったことが自分では分からないので、いつも周りをきょろきょろと見渡しては「いまだ」というタイミングを見計らっている。

「着始め」のときはいい。「あれ、まだコート着なくて平気なんだね」などといった形で、親切な誰かがリマインドしてくれるからだ。「今日は平気かなーと思って出てきたけど、こんなに寒いなら着てくればよかったなあ」などと、あたかも自身の積極的選択により薄着しているかのような返事をする。

その後、慌てて「クリーニング コート 一日仕上げ」などと検索して、一番仕上がりの早いクリーニング屋に飛び込む。「この時期立て込んでるから、一週間はかかりますよ」と言われ絶望する。クリーニングが仕上がるまでの一週間、「今日は平気だと思った」ふりを続けなくてはいけない。

一旦、「もうウールのコートを着てもいい時期なんだ」、と分かると、それまで平気だったのが急に寒く感じるようになる。クリーニング屋よ、私のコートを最優先で仕上げてくれ、と思う。

問題は「着納め」の時期だ。こちらは「着始め」と比べ、難易度がぐんとあがる。なぜなら、「着納め」を積極的にリマインドしてくれる人がいなからだ。

確かに、「まだコート着てるんだね。暑くない?」というのは、批判的に聞こえる。みんな、批判的に思われるくらいなら、と思って見て見ぬふりをするのだと思う。

その優しさのおかげで、去年私は、10月末までかごバッグを使っていた。

みんなが「ジャンパー」的なものを着るようになったので、私も、とタンスから出す。タイツをはいて、ジャンパーを着て、かごバッグを持ってスーパーに行った。買い物をしているとき、妙な違和感を感じる…タイツにジャンパーとかごバッグってもしや、変?

傷つかないから、誰か教えてくれたらよかったのに、かごバッグの「使い納め」を、と思う。批判的でも良いからさ。

この季節感覚の欠如には、ひとり、決定的な被害者が存在するからだ。それはもちろんMomoだ。

「お母さん、今日半袖着てるの私しかいなかったよ」と言われたとき、ああMomo、ごめんよ、ごめんよ、と思って涙があふれた。私の季節感覚のせいで、Momoに寒い思いをさせてしまったとは。

それからというもの、保育園の着替えボックスには「長袖」「半袖」「薄めの長袖」「7分丈ズボン」「半ズボン」といった、あらゆる気候に対応可能な服装各種を常備するようにした。Momo、お母さん、いろんな服を入れておいたから、気温に合わせて調節するんだよ。

後日、連絡帳に「着替えボックスがパンパンになっているようです。長袖、長ズボンは、今期もう持ち帰っていただいて構いません」と書かれた。

担任の先生よ、ありがとう。そして、仕事を増やしてしまってごめんなさい。と思う。

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