愛おしき言葉たち

こんにちは。シングルマザーのRainyです。
週末はPCに触る時間がなかなか取れず、更新できませんでした。

というわけで、遅ればせながら、2021年4月17日(土)の晩ごはんを紹介したいと思います。

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2021年4月17日(土) 「タコス」

・タコス(タコスミート、レタス、トマト、アボカド、チーズ、ハラペーニョ)

冷凍してあった最後のタコスミートを使ってタコスの晩ごはんにしました。タコスミート、改めて作っておくとやっぱり便利だなあー。次作る時も多めに作って冷凍しとこー。

愛おしき言葉たち

私は語学を専攻していたためか、他人の使う「言葉」をすごく注視してしまう癖がある。そして、「素敵!」と思う言い回しがあったりすると、思わずメモを取ってしまったりする。

学生のころ付き合っていた男の子に、ことごとく私の心を鷲づかみにする言葉使う人がいた。彼の使っていた「愛おしき言葉たち」は今でも私の好きな表現リストに残っていて、時々リストから引っ張ってきては自分で使ったりもしている。本をよく読む人だったので、読んだ本からいろんな表現を拾っていたんだと思う。

ちなみに彼は、使う言葉がかわいらしいだけでなく、私と同じように他人の使う言葉にも敏感だった。彼のお気に入りの表現で今でも覚えているのは「ポッケ」。彼は、女の子が「ポケット」のことを「ポッケ」と呼ぶとどうしようもなくキュンとしてしまうらしく、私が「ズボンのポッケででるよ」と言ったとき、「今、ポッケって言ったよね!!!???」と、喜んでいた。

その後「ポッケ」に心をつかまれてくれる人には出会っていないけれど、私は今でも(意図的に)「ポッケ」呼びを続けている。(笑)

5歳のMomoがどうやって言葉を習得していくのか、ということも、興味深く見ているもののひとつだ。(このあたりの記事にも似たようなことを書いてるかも「愛おしき言い間違い1」、「愛おしき言い間違い2」)

Momoが使う言葉にも、私の心をぎゅっとつかむ表現がいくつもある。Momoは父親のアスペルガー的思考回路を部分的に受け継いでいるからか、AB型だからか(?)、周りに惑わされず、自分自身の世界線で物事を捉えているなあ、と感じることがよくある。

特に心をつかまれたものは今のところ2つあって、ひとつは、ワンピースのことを「ドレス」と呼ぶことだ。

私がワンピースを着ている日は必ず、

「お母さん、今日のドレス可愛いね!」

と言ってくれる。

たったの数千円(…も、しないかも、、)のワンピースなんだけれど、それを「ドレス」と呼んでいる素朴さ?がなんだかたまらなく愛おしくて、とても気に入っている。

もう一つは「ごちそう」だ。これは「食事」のことを指すときに使う。

「おかあさん、今日のごちそうなあに?」
「ごちそうまだー?おなかすいたよー」

と、こんな感じだ。ブログを読んでくれているみなさんがご存知のように、我が家の食卓は、俗にいう「ごちそう(=豪華な食事)」とは程遠いものだ。それを「ごちそう」と表現する昭和っぽい感(?)がなんだかすごくかわいく思える。

もしかすると。保育園で、そう呼ぶように、と指導されてたりするのかなあ。作ってくれた人への感謝を表すという意味合いで。それとも単純にMomoオリジナルの表現なのだろうか。今度聞いてみよう、と思う。

一番最近出会った「愛おしき言葉」は「チーン」だ。「チーン」自体は私たちの世代が小学生?のころに流行っていた言葉で、がっかりしたときとか、期待外れだった時とかによく使っていたもの。

なので、「チーン」自体に真新しさはない。…のだが、ここ最近、30代の同僚がそれを使ってるのをみてなんとも気に入ってしまったのだ。

「30代のチーン、いい!」と思って、最近自分も積極的に使うようにしている。が…周りからは一体、どう思われているんだろう。

あの「チーン」の良さは、あの同僚が、あのタイミングで言ったから良かったのであって。30代シングルマザー(相手いない)が四六時中使用することが世間的に許容されるか、については自信がない。(が、とりあえず言い続けているw)

ところで先日、「自分のころはお茶くみが最初の仕事だったのに、今の子はそういうのなくて良いよねー」と言っている人を見て、東大出身(理系)の頭キレッキレ上司が

「時空を超えた平等性の主張は、不幸の再生産に繋がりかねませんよ」

と言っていた。

聞いた瞬間、「これは!!!!」と思ってすばやくメモをとってしまった。状況を的確に分析し説明的表現に落とし込む、というこの能力は理系特有のものなのだろうか。

ちなみに私の大好きな詩人(文系)の「穂村弘」さんは、似たような状況のことを

「さかのぼり嫉妬」

と表現している。この表現を初めて見たとき、「なんと端的で、それでいてふわふわした軟らかい表現なんだろう」、と感動したのを覚えている。これは、詩人だからこその能力だろうか。

同じ現象を表現する方法として、こんなにも雰囲気の異なる言葉たちがあるなんて。

日本語ですらそう思うのだから、同じレベルで英語を捉えられるようになったらどんなに楽しいんだろうか、と思う。そして、ネイティブと、この、英語バージョンについて話をすることができるようになったら。最高なんだけどなー。

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