こんにちは。シングルマザーのRainyです。
2021年4月21日(水)、22日(木)の晩ごはんを紹介します。
2021年4月21日(水)、22日(木)「シチュー」

・シチュー(鶏胸肉、たまねぎ、にんじん、じゃがいも、しめじ)
・サラダ(レタス、水菜、トマト、アボカド、しめじ、ベーコン)
・パン
昨日の晩ごはんの支度中、Momoが切ってくれた野菜たちを使って作ったシチュー。それとサラダ。木曜日は学研で帰りが遅くなったので、水・木の2日間、同じメニューになりました。
赤ちゃんが産みたい
「そういえばね、めぐちゃんのおうちに赤ちゃんが産まれたんだって。きのうのお迎えの時、お母さんがだっこして連れてきてた。」
通勤途中の車内でMomoが言う。
めぐちゃん、とは、Momoのクラスメートである。送迎の時間が全然違うので、赤ちゃんが産まれるだなんて全然知らなかった。今度お母さんに会ったら、おめでとうを言わなくちゃ、と思う。
「いいなあ。Momoのおうちには、どうして赤ちゃんが来ないんだろうね」
「りーちゃんちにも赤ちゃんがいるし、たっくんちも、お母さんのお腹の中に赤ちゃんがいるんだよ」
「いもうとがほしいなあ」と言うMomoを見て、ごめんよ、ごめんよ、と思う。
そうだよね。
私には、心の中身を何でも話すことのできる妹がいる。同じ環境で育ち、良いことも悪いことも含め同じことを経験し、同じ親の元で育ってきた妹。大人になった今でも、私の一番の相談相手であり、親友であり、信頼できる大事な大事な大事な存在だ。
Momoにもそんな存在がいたら。これからの人生、どれだけ支えあって生きていけるだろう。
もちろん私も、Momoの一番の相談相手になってあげようと思うけれど、親と兄弟って全然違うでしょう。これから先の人生。「親には話せない」と思うことも、きっとたくさん経験していくんだろうと思う。
そんな時、そんないろいろを気兼ねなく共有できる、歳の近い存在がいたら。そんな存在を、Momoにも作ってあげたいなあと、Momoを産んだころからずっと思っていた。
こういうとき。母子家庭の母として、なんて返してあげるのがいいんだろう。本当にくるかもわからない「いつか」という言葉を使っていいのか、それとも、「お母さんはMomoと2人で十分幸せだよ」と言うべきか。
いろいろ考えを巡らせるけれど、結局いつも「そうだね、赤ちゃんくるといいのにねえ」と言ってやり過ごしてしまう。
そうやってやり過ごしたあとは、いつもすぐ心臓がバクバクになって、勝手に涙が出てくる。心の中でびゅーびゅーと強風が吹いていて、立っているのも難しいような感じ、と言ったら良いのかなあ。そうなるともうどうしようもないので、Momoを送ったあと、一人でわんわん泣きながら職場に行ったりしていた。
少し前、仕事中、そんなことを色々考えていたら突然涙が止まらなくなってしまって、困って困って通っている精神科に電話をした。いつも混んでいる病院なので予約でいっぱいだろうなあと思ったけれど、先生が「点滴を打ってあげるからすぐこられますか?」と言ってくれた。
点滴。
ちょっと前にも同じような状態になって、仕事を早退して病院で休ませてもらったことがあった。診察用のベッドなんだけど、良いにおいのするタオルとふかふかの毛布が用意してあって。そこで何十分か休ませてもらっだけで、気持ちがすごく楽になった。そのときの診察で、「またこういう風になったら即効性のある点滴も打てるからね。」と言われていたのだった。
早退させてもらって、病院に向かう。運転しながらまた大声で泣く。涙でぐしょぐしょのまま病院について、ふわふわ毛布の所に案内してもらった。泣いたまま点滴の針を刺してもらって、「3時間ぐらいかかりますから、ゆっくり休んでね」と言われる。頭まで毛布を被って泣いてたら、いつの間にか眠ってしまった。
先生が部屋に入ってきた。点滴が終わったらしい。身体を起こすと、さっきまでの不安な気持ちがすーっとどこかにいって、心臓のドキドキも収まっていた。治療の中で唯一、即効性のある方法なんだよ、と先生が教えてくれた。
そのあとの診察で、先生といろんな話をした。
私が育ってきた家庭環境のこと。両親のこと。今までにつらかったこと。そのほかいろんなこと。
先生はさえぎらないで、最後まで全部聞いてくれた。そして、「アダルトチルドレン(AC)って知ってる?」と言った。
先生によると。私にはAC特有の生きづらさが土台にあって、離婚によって適応障害を起こしてるんじゃないかということだった。
アダルトチルドレン。そういえばー。
学生のころ、「私ってこれなんじゃないかな」と思って、自助会に参加しようとしたことが一度だけあった。
先生の話を聞いて、なんだかこれ以上になく納得したというか、自分の感じてきた複雑な思いが一本の糸でつながったというか。生きづらさの原因がわかってなんだかとても安心した。
記憶を掘り起こして文字にすることはとても根気のいる作業なのでこのブログにはあんまり書いたことがないけれど、私は「機能不全家族」の長女として育ってきた。
自分自身の離婚については時間がかかったけれど納得しているし、離婚してよかった、と思っている。私が乗り越えられていないのは、「夫婦がそろった家庭へのあこがれ」とか「それを実現できなかったことへの困惑」とか。そういう感情。それが、ほかの人よりも強いからなんだと思う。
現実を受け入れるには、ACの生きづらさを改善して自己肯定感を育てること。それが必要なんだって。
なんか難しいことを書いてしまったけれど。自分がどうして悩んでるのか、何に行き詰ってしまっているのかがわかったことで、この数日間、わりと元気に楽しく過ごせています。
このことも、今の先生に出会わなかったら、離婚しなかったら、一生気付かないままだったかもしれない。ずーっとずーっと、生きづらいなあと思ったまま、毎日を過ごしてたのかしれない。
離婚があったから。今の土地で新しい人間関係ができて、それが私を救ってくれている。そんな風に考えながら、時間をかけて立ち向かっていこうと思ってます。もちろん、Momoのためにも。
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