生活感について考える

こんにちは。シングルマザーのRainyです。

Momoのリクエストでポトフを作る。料理や母子家庭の暮らしぶりを紹介する趣旨で始めたこのブログ。二人暮らし→住み込みに居住形態が変わりただの雑記ブログになってしまったが、久しぶりに料理の写真を載せてみる。

・ポトフ(大根、にんじん、玉ねぎ、じゃがいも)
・フランスパン
・サラダ(っていうかレタスw)

Momoに「お母さんって料理できるんだね!」と驚かれ「確かに!」と驚くわし。社宅で二人暮らしをしていた頃はいろんなもの作ってたと思うんだけど、Momoにはもうすっかり記憶がないらしい。私にもあんまりない。笑。

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生活感について考える

才女(親友)の家に遊びに行った時。玄関から廊下、リビングのいろんなところに「南天の白いやつ」みたいなのが飾ってあった。わあ、これ可愛い!と思いつつ、名前を聞き忘れてしまった私。その後花屋さんを通りかかる度「南天の白いやつ」と眺めているが、一向に発見できずにいた。

才女とランチに行く。そういえば、と思って白いやつのことを聞いてみる。すると「あれね、家の近くにたくさん落ちてて拾ったのよ」と言われひっくり返る。

「たくさん落ちてて拾った」とは。

丁寧な暮らしの裏側を淡々と種明かしする横顔を見て「これだから私は、あなたのことがたまらなく好きなのよねえ」と思う。

一緒に公園に行った時もそうだったなあと思い出す。車のトランクから外遊びグッズの詰まったローカルスーパーの「マイかご」をひょい!と出して、子を追いかける才女。「ダイソーの外遊びグッズ×マイかご」なんて本来生活感の塊のようなものだが、彼女の立ち姿からは生活を営むことに苦労している雰囲気が全く感じられないのだ。生活感がない、と言ったらいいのだろうか。

「生活感がないこと」について、具体的に考える。

ばっちりメイクをしていても、ヒールを履いていても。ブランド物のバッグを携えていても、生活感のある人はあるんだよなあ、と思う。不思議だ。自分に手をかけているか否か=生活感の有無ではない。才女はあんまりメイクをしないし、髪を染めてもいないし、おしゃれだけど自然体で、存在そのものが透き通った感じの女性なのだ。

ああ、あの透き通ったオーラ。と思う。我が家でヤマザキの「パリジャン」を食べた時もそうだった。パリジャンを食べている時も、彼女は透明だった。

足し算しかできない私は、いろんな色を混ぜすぎていつしか絵の具のバケツの中身みたいになってしまった。一旦濁ってしまった水は、何を加えても透明にはならないのだよなあ、と思う。

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