シシリアンキス
こんにちは。シングルマザーのRainyです。
コタツでボーッとしていて、なんだかわからないけれど思い出した話。
ふと。
学生のころ繰り返し読んだ、江國香織の「神様のボート」、冒頭の一説を思い出す。
あたしが発生したとき、あたしのママとパパは地中海のなんとかいう島の、リゾートコテッジにいたのだそうだ。晴れた、風のない日で、二人はプールサイドで本を読んでいた。ママの読んでいたのは厚ぼったい推理小説で、パパのは短編集だった。一つ読みおわるごとに話しかけるのでうるさくて困った、と、ママは言う。
ママはシシリアンキスというカクテルをのんでいた。カクテルをつくるのはパパの役目で、パパのつくるシシリアンキスは「倒れそうに甘くて病みつきになる味」だったそうだ。グラスの液体はとろりとした琥珀色で、「午後の戸外の飲み物として、あんなに幸福なものはない」らしい。氷が日ざしをうけてみずみずときらめくのだそうだ。そうやって本を読みながら、パパはママの首すじに何度も唇をおしあてた。そのたびにそこが溶けそうになるくらい熱い唇だったとママは言う。あの人の唇はいつだってそうだった、とも。
江國香織「神様のボート」
「あたしが発生したとき、」
その無機質な語り口に、言いようのないあこがれを抱いた。
まだ就職も、離婚どころか結婚も出産も経験していなかったハタチそこそこの私は、ああなんか、結婚ってこんな感じにロマンティックなのかしら、と想像したりしていた。
大学の近くにあったお気に入りのバーで「シシリアンキスをください」と注文したら、バーテンダーさんがあまりピンとこなかったようで。
ちょうど文庫本を持ち合わせていた私は、ページを開いて「シシリアンキス」の説明を見せた。
・倒れそうに甘くて病みつきになる味
・とろりとした琥珀色
・午後の戸外の飲み物として、あんなに幸福なものはない(という味)
こんな説的表現ではカクテルにならないので(笑)、結局、ネットで作り方を検索して出してくれた。
初めて飲む「シシリアンキス」は、江國さんの表現から想像していたのよりもずっとずっとすっきりしていて、薄めたメープルシロップみたいなのを想像していた私は、なんだか拍子抜けしたのを覚えている。
よく「通販で服を買ったら、思ったのと違った」というのがあるけれど、まさにそんな感じ。思っていたのとは随分違うけれど、これはこれで悪くないな、と思ったりするような。
本の一節に出てきた飲み物の描写と自分の感想に相違がある、というのは。不思議な感覚だなあ、と思う。なんだろう、自分がしていたのは、単なる想像というか、思い込みだったのかなとか。
シシリアンキス。久しぶりに、飲みたいなと思う。
晴れた日の、午後の戸外で。
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