こんにちは。シングルマザーのRainyです。
大学院後期の単位認定試験が終了しました!後期に履修したのは4科目(8単位分)。落としていなければ、前期と合わせて22単位。修士課程の必須単位を全て取得できることになります。
フルタイムで働くシングルマザーにしては、結構頑張ったかな!はっきりとしてはいないけれど、ぼんやりモワッとした達成感を感じます。
というわけで今日は自分にご褒美の1日。ラムをたらしたチャイを作って、お香とキャンドルを焚きながらもうずいぶんと遠ざかっていた読書and午睡。
読んだのは、大好きな作家川上弘美さんの「センセイの鞄」。もう10回ぐらい読み返しているんじゃないかしら、というぐらい大好きな一冊。
川上さんの描く文章は柔らかくて、読んでいるとピントが合っていない映像を見ているような、淡い情景が浮かんでくる。表現のところどころに使われる、独特のオノマトペも好きだ。
センセイのことはあわあわと遠い
むやむやっと広がったことごと
生活のものあれこれを見に行く
とくとくと注ぐ
彼女の文章が放つ淡さは引いて、引いて、引いた「引き算」の結果なのではないかしらと思う。文章からいらない部分を徹底的に削ぎ落として、ときには何行も読み進めないとなんの話かわからなかったりするような、そんな「引き算の文章」。算数でも、インテリアでも、書きものでも「足し算」しかできない私は、彼女のすーっと入ってくる真っ直ぐな文章にいつもうっとりとしていた。
作者自身が酒飲みということで、どの作品を読んでもお酒を飲むシーンが出てくるのも好きだ。
私は大学生の頃、赤ちょうちんが連なる街に住んでいた。ちょうど「せんべろ」なんていう言葉も流行っていた頃で、ブックオフで買った文庫本と千円札を握りしめ、いろいろの店を回って歩くのがたまの楽しみだった。
「センセイの鞄」に出てくるツキコさんも、同じように赤提灯で一人手酌をするような女性だ。私よりずっとさっぱりとした性格で自立した女性だけれど、何か親近感を感じるところもある。37歳のツキコさんは当時ずいぶんと年上だったけれど、いつの間にかたった4つ上の人になってしまった。あと何年かしたら私の方がおばさんになってしまうのか、と思ってクラクラする。
キッパリとした顔
「メメちゃんって、なんというかキッパリとした顔だよね」とMomoが言う。「メメちゃん」というのは、Momoが可愛がっているぬいぐるみの名前だ。
「ほら、キッパリとしているでしょう?」と言って見せてくるが、なるほど、言われてみれば確かにキッパリとした顔つきをしている。
「キッパリとしている」というのは、曖昧な表現であると思う。本来ASDの診断のあるMomoは曖昧な表現を理解しにくいとされているはずだが、時折こうして自分から使ってくるので面白いなあと思う。彼女なりに「キッパリ」を辞書的に認識していて、その状況がぴったりと当てはまったときに用いるもの、としているのだろうか。
私が7歳だった頃。そんな表現をしたことがあったかと問われたら「ない」と断言できる。Momoはどこでそんな感性を仕入れてきたのだろう。間違いなく、私ではない、ということは言えるw
コメント