居ない人のことを考える

こんにちは。シングルマザーのRainyです。
先日家にお喋りをしにきてくれたウクライナ人の友達が、東京旅行のお土産にと言って紫水晶を買ってきてくれた。

どの角度から見ても本当に綺麗

「Rainyの部屋にたくさん植物があるので、同じく自然からできた水晶の原石がぴったりなんじゃないかと思って。」と言ってくれて。ああなんか、貴重な東京旅行の間にも、そんなふうに考えてくれたんだなあということにすごくありがたみを感じました。

こんな世界情勢の中、こんなに小さな町で出会うことができたこと。大事な思い出にしなくちゃな、と思う。

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居ない人のことを考える

数日前。少し先に会おうと約束をしている高円寺の友達からも「これ、好きかなと思ってRainyの分も買っといたよん」というメッセージと共にかわいいフックの写真が送られてきたことがあった。

私も、一人で買い物をしているとき、その場にいない誰かの顔を浮かべることがある。Momo、このマスカット買って帰ったら喜ぶやろなあ。とか。○○ちゃんこれ好きそうだなあとか。次は○○も一緒にきたいなあとか、ていうか今いたらええのにとか。

そういう気持ちって自分の心の「無意識」の領域にある相手への気持ちで。それが「無意識」まで落ちているということは、自分の中でその相手の存在がすごく大きく大事なものになっている証拠なんかなあと思う。

そう思うからこそ、誰かが自分にそんなことをしてくれた時ってすごく嬉しい。ついつい大人気なく、子供みたいにきゃっきゃとはしゃいでしまう。

「認知的倹約家」である人間がわざわざ自分の脳のメモリーを使って考えること。そこに感情や心がどのように絡んでいるのか。そういうことを学ぶのも、きっと面白いだろうなあと思う。

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