こんにちは。シングルマザーのRainyです。
大学院の後期試験も無事終わったということで、苦手な「統計学」の復習中。
「1.数学の基礎」という項目に「微分・積分」が載っていて早くもすっ転ぶ。
友人おすすめの「ゼロから学ぶ微分積分」を購入して毎日数字と戦っています↓
高校の理系科目は「名前を書くと20点制度」を利用して赤点を免れてきた私。まさか30過ぎてからこんなに勉強することになるなんてね。6年前は旦那がAVに出てて、今は微積分をやっている。人生って本当に、わからないものだなあと思う。
けど、ちゃんと理解しようと思ってやってみるとこれが案外めっちゃ面白くて。生まれ変わったら絶対理系に進んで、農学部で植物の勉強をしたいなあって思う。
Momoの涙
「お母さん、聞いて」
帰宅するなり、Momoが泣き出す。どうしたのどうしたの、話してごらん。というと、どうも学校で何かあったらしい。
「AちゃんとBちゃんが遊んでいるところに、Cちゃんが『混ぜて』と言ったの。そうしたら二人とも『ダメ!!』って。」
「そのことを思い出したらCちゃんはお腹が痛くなってしまって、今日は学校に来られなかったの。Cちゃんがこのままずっと学校に来られなくなってしまったらどうしよう」
Momoは、友人ABCの間で起きた出来事を見聞きし、Cちゃんの感情に共感し触発されて泣いてしまっているのだ、ということがわかった。
Momoは、本当にやさしい子だなあと思う。周りの様子をよく見ていて、何か気になると私に聞いてくることもある。例えば住み込み先の職場での、大人同士の人間関係についてとかも。
ASD児は一般に「共感能力に乏しい」ということが言われているが、その特性はMomoにはあまり当てはまらないように思う。彼女の視覚の優位さ、観察眼の鋭さ、それから多分、幼少期に経験した家庭不和や(良くも悪くも)いろんな人間関係が渦巻く今の住環境が、彼女の共感能力を底上げしているのではないかと推測する。
「お母さんは、昔、そういうことあった?」
聞かれて、うーん、と考える。私が小学生の頃は「いじめ問題」が問題視されていたけれど「何があっても学校にはいくもの」という認識が強かったせいか休むようなことってあんまりなかったんじゃないかなあ。
そう考えると、子供たちの心のケア(スクールカウンセラーの導入や別室登校など)が始まったのは、本当に最近のことなんだなあと実感する。「知的な遅れのない発達障害」に対してのサポートが始まったのもそうだが、「先生」という職業が学業の指導を超えた重要な役割になっているんだなと実感する。どんなにか、大変な職業なんだろうな。
Momoのクラスは15名ほどの小さなクラスだが、その半分弱の児童に発達障害の診断が降りている。以前私の主治医が言っていたが、発達障害のある人の数は検査の母体数の増加だけでは説明がつかないほど、どんどん増加していっているそうだ。それにしても、クラスの半分!と思う。
自分達の頃のことを考えると、今の基準で測ったら診断が降り流だろうと思われる同級生の顔がちらつくけれど、そこまでは多くないんじゃないかなあと思う。
これらの背景にあるものはなんなんだろう、Momoの心の動きはどんな風なんだろう。研究者になったら、明らかにしたいことがたくさんある。
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