こんにちは。シングルマザーのRainyです。
2021年5月24日(月)の晩ごはんです。
2021年5月24日(月)「お刺身とか」
・まぐろのお刺身
・バンバンジーサラダ?(鶏むね肉、きゅうり、水菜)
・トマト
・みそ汁(大根、お揚げ)
お米の精米を忘れてしまったので、ひさしぶりに玄米ご飯。以前、保育園の給食の先生から「小学生になるまでは、(消化器の発達的に)白米をあげたほうがいいです」と言われて以来やめていた玄米。久しぶりに食べたらおいしかったです。お刺身に合うのは白米だと思うけどw
LGBTについて思うこと
以前オーストラリアに行ったとき、ホストファミリーと一緒に’Growing up with same-sex parents (同性同士の両親を持って)’ という特番を見たことがあった。同性同士の両親に育てられた子供たちが、自分のおかれた環境や両親についてどう思うか、というのをインタビューする、という内容だった。
日本語で「同性同士の両親」と言うと「どういうことやねん」という感じだけれど。LGBTなどの同性カップルが’adoption (養子縁組)’ などの制度を利用して子供を持ち、家族を形成した場合にそういう現象が起きる。「普通」とまでは言わないけれど、西洋では割とあることのようだ。
驚いたのは、子供たちが例外なく、両親の選択を肯定していたこと。「友達には驚かれることもあるけど、自分は家族が仲良くて幸せだし、自分をかわいそうだと思ったことはない」という意見が大多数だった。なんというか、両親を自分とは違う一人の人間として捉えていて、その人した選択について客観的に肯定している、という印象を受けた。
これは、LGBTがまだまだ受け入れられていない今の日本では、起き得ないことだろうな、と思う。
「(日本的)一般常識の範囲内におさまること」「普通であること」「万人に受け入れられること」が「個人の意見や選択」に大きく影響するこの国で、そんな感覚が一般的になることは果たしてあるだろうか、と思う。
いろんな意見があると思うけれど、個人的には、LGBTの人たちはもっともっと受け入れられるべきだと思っている。私自身にそういった趣向はないけれど、性別に関わらず「誰かを魅力的だと思う感情」は、単純に尊いものであると思うから。それは、相手が異性であっても、同性であっても、トランスジェンダーであっても関係なく。
私の知り合いに、「性転換手術」を受けて男性から女性になった人がいる。彼は女性になる前、男性として数十年間、女性との結婚生活を送っていて、子供も育てている。奥さんは、彼の性転換について理解していて、今は同性同士のカップルという新しい形で、夫婦の関係を継続しているそうだ。
この話を聞いて、シンプルに「すごい!」と思った。異性同士のカップルとして長い時間を共にしてきたパートナーの性別が「変わる」のを受け入れる、というのは、ものすごく難しいことだったんじゃないかと思うのだ。
性別が問題にならないほど、その人のことを愛していて、その選択を尊重すること。それほどまでに誰かを好きになって理解し、応援したいと思うことが起き得るのかあ。そう思ってなんだか、クラクラしてしまった。
先日、ロシア人の社員と「日本の常識」について雑談する機会があった。彼は私から見たら「おじいちゃん」ぐらいの年齢の人なのだけれど、日本でシングルマザーとして生きることの難しさについて、よく理解していた。
ロシアでは、日本と比べて離婚する人がとても多いらしい。政府による経済支援が充実していたり、男女間の賃金格差が少ないため、シングルで子供を育て上げる、ということが日本と比べて難しくないのだそうだ。それに「個人の選択を尊重すべき」という考え方が根付いていて、いわゆる「未婚の母」というポジションの人もたくさんいるんだよと教えてくれた。
日本に住んでいてMomoを育てるのでいっぱいいっぱいな私からしたら想像もつかない話だけれど、「個人の意思を尊重すべき」という概念が浸透している社会はきっと、ずっとずっと、生きやすい場所なんだろうなあと考える。
別に周りにどう思われてても。自分がシングルマザーになったことを悲観する必要はないのかも、と改めて思う。どんな境遇だって、本人の捉え方次第でマイナスにもプラスにもなるから。だったら、自分自身がまずプラスに捉えて、キラキラと暮らしてたほうがいいんじゃない?って。
環境に飲まれないこと。人の目を気にしないこと。難しいけどね。ものすごく。
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