こんにちは。シングルマザーのRainyです。
2020年9月7日(月)の晩ごはんを紹介したいと思います。
今週は、こちらの食材でやりくりしています↓
2020年9月7日(月)の晩ごはん「塩さば」
・塩さば
・ニラ入り卵焼き
・ヤムウンセン
・鶏だんご入り春雨スープ
半身120円ほどで購入した塩さば。さあ焼きましょう、とグリルを開ける。
と、同時にこぼれる水。ん?みず…?
そう。またやってしまったのです。必殺「グリルの洗い忘れ」。
放置された魚焼きグリルの攻撃力は結構高い。物理的にも精神的にも、それなりのダメージを与えてくる。
洗い忘れ経験豊富な私でも毎回うろたえて、もうスシロー行こうか、などとつぶやいてしまう。
そもそも。前回グリルで魚を焼いたのはいつだっけ、とブログを遡ってみる。と、ヒットしたのは8月29日の記事『2020年8月29日(土)の晩ごはん「アジの開き」と、年金38万円おじさん』。
8月29日…。実に10日ほど前のことである。
グーグルで「引く」
「グーグルで引く」
私の母の口癖だ。何を引くのかというと、「情報」である。つまり、「検索する」、という言葉を「グーグルで引く」と表現しているのだ。
「最近、国道沿いにアイス屋さんができたんだって。グーグルで引いてみ」という具合である。
「グーグルで」の部分は省略される場合も多く、「クーポン引いてみ」などと言われるとそれはもうなんのことやら、である。
お察しの通り、「引く」という表現は、「辞書を引く」から来ているものと思われる。「引く」道具が時代と共に変化しても、「引く」というその表現だけは母の中で生き残ってしまったのだろう。サザエさんちの黒電話のような生命力だ。
母が「ググる」という言葉を知るには、一体あと何年かかるんだろう、と考える。母がグーグルで「ググる」とググっている姿を想像して、頭がふにゃふにゃとしてくる。
でも。表現だけが生き続ける、というのは、あながちないことではないよなあ、とも思う。例えば、「チャンネルを回す」とか。回す部品がなくなった今でも、チャンネルは回され続けている。
子供向けの昔話なんかは、大昔の表現を意図的に使っているものが多いように思う。「つるの恩返し」で嫁さまが織った布は「一反千両で売れた」が、「一反」がどのぐらいの大きさなのか、「千両」が何円なのか見当もつかない私は、Momoに聞かれて慌ててグーグルで「引く」ことになった。
確かに、「12.5メートル一億三千万円」は分かりやすいが、ストーリーが急に現実味を帯びて味わいを失ってしまうように思う。いや、そもそも私のような無知人間を作り出さないために、わざわざ「一反」や「千両」という表現を残しているのかもしれない。
「一反」や「千両」とまじめに向き合ってこなかったから。私はこんなにも頻繁にグリルを洗い忘れるポンコツ仕様に仕上がってしまったのかもしれない。
コメント