年相応

こんにちは。シングルマザーのRainyです。

歩いていると、いろんなところで新芽に出くわし心が躍る。これらはスイセンとチューリップの芽かしら?土の中から出てくるって。ものすごいエネルギーだよなあと思う。

職場のおばさまたちも、顔を合わせれば「もう春」とか「時の流れが早すぎる」という話をしている。「母子で住込み」という不思議な暮らしも、気づけばもう一年か、と思う。

いろんな人から「何それ」と不思議がられるが、実際にやってみるとそんなに違和感のない住込み生活。周りのみんなのおかげだなあとありがたく思う。それと、私自身がどんなところでも暮らせるタイプというか、プライベートをそんなに気にしないのもあるんかなあと思う。

Momoが大人になった時、今の暮らしをどんなふうに振り返るのか楽しみだ。きっといい話のネタになるんじゃないかしら?

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年相応

桜柄の杖で歩くご婦人を見かけて「お」と思う。季節によって杖を変えているのかしら。なんと素敵なご老体か、と思う。

見ると、身に纏った薄手のコートやストールも淡い桜色で揃えてある。歩く「丁寧な暮らし」といった佇まいである。

以前このブログにも書いたことがあるが、私は季節に合わせて服装を変えるのが下手だ。周りをキョロキョロしながら「コートの替え時」をうかがったり、「かごバッグ」を出したりしまったりしている。

先日美容院で「年相応の髪型や格好」についての話になった。

「前髪の厚い30代を見て、若い子はどう思うんでしょうね」と聞くと、「『薄い前髪』は今の若い世代の流行りですからね。それを通っていない30代が無理やり合わても、それはそれで違和感があるもんですよ」と返される。

「人は、変わらないように変わっていかないと。」と言われ、ふむ、と思う。よくわからないけど、エスカレーターに乗ってるみたいな感じかしら、と考える。自分自身は止まっているんだけれど、年齢相応のスピードで周りと共に変化していくというか?

今までの人生で「時が止まったように昔の格好をしている人」を数名見たことがある。50代や60代の「アユ」や「倖田來未」たちだ。個人個人が好きな格好をすること自体は素敵だと思うけれど、「ピンヒールの白い膝上ブーツ」って一体どこで売っているんだろう、と不思議に思う。その昔に「マルキュー」で買ったのを大事に履いているんだろうか、それとも、そういった系統の服屋さんも元気でやっているのかしら?

でも、最近。いろんなものが世間的に「シンプル」「カジュアル」な方向に収束していっていて、面白さで言えば面白くないのかもなあとも思う。私が子供の頃ルーズソックスを履いていたお姉さんたちは、一体どこに行ってしまったんだろう。「私、昔ギャルだったんだよね〜ウケる」とか言いながら、無印良品みたいな家で暮らしてたりするんだろうか。なんだか、寂しい気持ちになる。

変わらないように変わるエスカレーター。そもそも乗るの難しすぎだろと思ってちょっと笑う。

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