こんにちは。11月11日(水)の晩ごはんを紹介したいと思います。
今週の食材はこちらです↓
2020年11月11日(水)「筑前煮」
・筑前煮(鶏もも肉、レンコン、にんじん、しいたけ、こんにゃく、ゴボウ)
・サバの開き
・卵焼き(Momoだけ)
・コールスローサラダ(キャベツ、とうもろこし)
・みそ汁(白菜)
Momoのリクエストで作った筑前煮。ごぼうは買い忘れたので買い足しました。本当はさといもも入れたかったけど、むくのが大変なのでカット。さとまるくんは高いしね。コールスローサラダに入れたトウモロコシは、茹でて冷凍しておいたやつ。いつのだっけこれ、とブログをさかのぼってみると、なんと8月13日w。まだもう少しあるので早く食べ切らないと!
「黙って見守る」の難しさ
今週、Momoからリクエストのあった筑前煮。帰宅してから作るのは難しいので、前日Momoが寝てから作っておいた。今日は魚を焼くだけですむぞー!と意気込んで帰宅すると、こんな日に限って「晩ごはん作り手伝う!包丁使うのがいい!」と言うMomo。
昨日筑前煮にお誘いしたときはコナン君みてたじゃないかよおおおお、と心の中で思う。あ、でも。みそ汁まだ作ってないわ、と思い出し、Momoに頼むことにする。
「それじゃあみそ汁、作ってくれるかい?」と聞くと、おっけーいと言って出汁パックをお鍋に放り込むMomo。いつもながら手際が良くて感心してしまう。
さあ、今日は何のみそ汁がいいかな~?とリクエストを聞く。すると答えはまさかの「きゅうり」。
きゅうりのみそ汁か…と思う。私の祖父は農家を営んでいたので、大きく育ちすぎた「おばけきゅうり」をよくみそ汁に入れて食べていた。が、あれ、あんまりなんだよね…。
きゅうりか~。じゃがいもとかはどう?と提案すると、「絶対きゅうりがいい!」と言うMomo。きゅうりのみそ汁って出したことないけどなあ、と不思議に思う。いいけど、あんまりあわないかもよ、と言うと今度は「じゃあきゅうりと白菜にする」と言い出した。
きゅうりと白菜…。それ、もっとやばいやつじゃないか。じゃあ白菜にする、ならともかく、きゅうりが残って白菜が増えるとは。
うーん。それも合うかわかんないけど、と乗り気でない私を見て不機嫌になるMomo。まあ、食べたことのないものを美味しくないから止めなと言われても、嫌だよなあと納得する。食べてみないとわかんないもんね。それに、Momoにとっては美味しかもしれないし。よし、1回作ってみるか、きゅうりのみそ汁。いいよ、やってみよう!と言うと。
「え?みそ汁にきゅうり?????」と言うMomo。
ええええええええ、さっきまでの会話は何だったの…。
「ま、いいよ。白菜にしよ。Momo、みそ汁の話だと思ってなかったからさ」と言う。私たちは一体今まで、何の話をしていたのか。聞いても「わかんない」というので謎のまま。私が腑に落ちないでいるうちに、パッパと白菜を切って鍋に入れていくMomo。あっという間にみそ汁のできあがり。
ところで。今回のきゅうりの件もそうだが、親は自分の知っている「正解」を子供に押しつけてしまいがちだなあ、と、改めて思う。私は、特にその傾向があると思う。ついつい、「それ、こうやったほうがいいよ」などと先回りして答えを言ってしまう。
そうやって持つとこぼれるよ、そんなことしたら転ぶよ、あ、箸から落ちそう!など。こぼれたり落ちたりすると後片付けが増えるので、ワンオペシングルマザーにとっては大打撃なのだ。
でも。子供にとって大事なのは「正解」を知ることじゃないんだよなあと思う。大事なのは、失敗を通して自分で正解を見つけることだ。「こうやって持ったらこぼれる」ということは、親から教わるんじゃなくて失敗から教わるべきだよなあ、と思うのだ。
しかも。私の思う正解と、Momoにとっての正解が同じであるとは限らない。個性を持った別の人間だからね。
子供に正解を選ばせるのではなく、失敗して転ぶところを見守って、もし怪我をしたら、その手当てを手伝ってあげること。それが、親としてして、一番してあげるべきことかなと思う。
黙って見守ること。安心して失敗できる環境を作ること。それって、実は、一番難しいことかもしれないけど。
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